Gruppo otologico2 (6日目)

朝9時。快晴の空の下、教会や公園の側を15分ほど歩くとその病院はある。

手術室に入ると、僕の顔を見たジョージ・クルーニー似の麻酔科医が手を上げて
Tomoro, qui!」
と叫ぶ。トモユキという名を昨日教えたら、そういう風にあだ名を付けられてしまったのだ。
これはイタリア語で<明日、ここにいる>という様な意味になるらしい。
Tomoro, qui! Tomoro, la!」
ジェスチャーを見るに、明日はあっちだという意味だろう。

この病院で実習を始めて二日目だったが、もともと日本人の留学生を三人受け入れていることもあり、スタッフの皆さんも僕らには馴れてくれたようだった。
「Sette japonese!」
つまり、この病院にはいま日本人は6人もいる。
自分がいまどこにいるのか現実感が薄い。

さて通常の人工内耳は通常蝸牛に電極を入れるのだが、今回は脳幹に電極を差し込む特殊なインプラントの手術が並列で3件。

これは腫瘍の大きさなどといった様々な条件から蝸牛以降の神経伝達路破壊せざるを得ない場合、脳幹の聴覚野にダイレクトに電気刺激を与えることにより音刺激を受容できるようにする手術だという。しかし、より生理学的な刺激に近い通常の人工内耳と比較すると、脳幹インプラントは必ずしも術後の聴力は芳しくないらしい。具体的にいうと、会話や日常生活は困難だが、大きな物音をキャッチしたりはできるという事だ。うまくいけば危険を察知する事くらいは可能になる。

珍しいオペという事で、見学するフェローたちの表情も真剣そのものである。
しかし外のリカバリー・ルームではジョージ・クルーニー似の麻酔科医と看護師達が何やら大声で言い合っている。一人は新聞を手に、もう一人は神社の絵が描かれた数独を握りしめている。
手術室の看護師が彼らに「シーッ!」と注意するが、そんな声はまったく耳に入っていない。何に対してそんなに熱くなっているのか、多分大した事じゃないんだろうけど、議論は益々ヒートアップする。

イタリアでは相手の言い分を理解するよりも先に口論を始める文化だという。
むしろそういう「刺激」こそは、彼らが他者に求めることの一つである。
だから例えば、日本の男女関係の理想像とされる<お互いが空気の様な存在になる>ことは、彼らにとっては<もう一緒にいる意味が無くなった>のと同義なのだという。

さて、黙々とオペが進む。ドクター・サンナは手術用顕微鏡を覗き込み、数ミリの世界で格闘する。
ものすごい集中力だ。非常に緊迫した雰囲気で、さすがのイタリア人たちもこのときばかりは静けさを保つ。
と思いきや、突然、飛行機用の枕を首に当てがって新聞を読みふけっていた年配の麻酔科医の携帯電話が、すさまじい音で鳴り響く。気まずい空気になる。しかし、である。
「Si!」
なんの躊躇いもなく、普通に受話器をとって話しだす。オペ看も含めスタッフの皆が、一気に慌て出す。なにしろサンナは周りがうるさいのを嫌うのである。
見兼ねた一人が無理やり携帯を取り上げ、なにやら小声で話し、ブチっと切って投げて返す。
そういう事をされても、麻酔科医が肩をすくめるだけで全てが終わってしまう。
この一連の流れを某然と見つめて、まったく異文化だよなあと思う僕であった。

しかし一応ドクター・サンナもイタリア人である。
時々術野が出血すると、大声で色んな事を喚く。
「アッー!」
「×××!」
とか叫ぶ。
ちなみに×××とは気品ある当ブログでは到底掲載不可能な卑猥ワード(しかも日本語!)である。

「おい、×××って日本語でどういう意味だか知ってるか?」
気晴らしに彼はそんな事を隣のオランダ人の女性に聞く。
当然ながら苦笑いしているのは我々日本人のみである。
どうしてそんなマニアックな単語を知っているのか、いやむしろ誰がそんな言葉を教えたのか、気品ある当ブログの著者としてはまったく理解に苦しむのである。

「It is different from ×××…」
もはや我々にとってさえ意味不明な内容の独り言を呟きながら、サンナは柔らかい腫瘍を掘り進めてゆく。手術室の平穏が取り戻され、しばらくぶりの緊張感が戻ってくる。
すると術野にほど近い位置に、一人のアジア人が立っていたのに気がついた。
彼は熱心にモニターを凝視していたので、顔を確認することはできなかった。アジア人は我々以外にいないはずであったので、それは不思議な事であった。
しかし初めて見る後ろ姿でありながら、それは全く見たことがないとも言い切れない雰囲気である。
僕は少し立ち位置を変えて彼の顔を覗き込んだ。
するとそれは…僕だった。

「Y田さん、Y田さん!」
小声で僕はモンキーを呼び止める。
「あ、ここにいらしたんですか、◯◯さん(僕の本名)」
「あれ、誰ですか!? 似すぎじゃないですか…俺と!」
Y田さんことモンキーも、不思議そうに首をひねっている。
「そうですよね、私もさっき間違えて話しかけそうになりました。よかったあ、話しかけなくて」
するとA藤くんも頷きながら同意する。
「俺もさっき呼び止めそうになったけど…背が低いし、眼鏡が微妙に違うからやめた。でも、似すぎじゃね?姿勢とか」
言われて目を向けると、その彼は偉そうに腕組みをして偉そうに術野を見ていた。

ドッペルゲンガーかもしれない…」
絶望感に取り憑かれた僕は呟いた。おそらくお分かりいただけないと思うが、というか僕だってまったく心構えができていなかったが、自分そっくりの人間がまさに目の前にいるのである。
なにかの間違いだと思った。明らかに動揺している自分がいた。
僕はドストエフスキーの「二重人格」という初期の短編小説を思い出した。

僕は近くにいた日本人の先生に声をかけてみた。
「あれ?…ん?」
先生は不思議そうに僕を見る。あそこにいるのが何者なのか、僕は追及してみる。
先生はしばらくその男を見て、知らないなあと言う。
「だって俺、あれずっと学生さん(僕の事)だと思ってたんだもん。…でもあれ、誰だろうな。俺、知らないなあ…」
もはや意味が分からなかった。
その男は、誰とも話をせず、ミステリアスな雰囲気を漂わせながら、腕組みをしてモニターを見つめていた。その姿はまさに僕であった。

「いやあ、ドッペルゲンガーだねえ、まずいねえ」
A藤くんが面白がって言う。しかし本人としては、自分を見ているようで、とんでもなく気持ちが悪かった。だって背丈から眼鏡の形から姿勢や骨格まで瓜二つなのだ。
特に目が ーーまあ手術室では目しか露出していないけれどーー まったく同じなのである。
違いといえば、彼は上半身の術衣をちゃんとズボンの中に入れている点くらいである。

でも実を言うと僕もだんだん面白くなってきたので、彼の背後で同じように腕組みして立ったりしていた。

さて手術が終わったのち、サンナが陽気そうに彼の肩を叩いて何やら話し込む。
しばらくすると、これは日本から来た学生だと言って僕たちを紹介する。
かれは、ドクター・チョウという、アメリカ合衆国からやって来た耳鼻科医であった。
6週間ここで見学することになっているという。
「いやあ、僕たちってなんだか似てませんか?」
握手のあと僕はそう言ってみた。しかし彼は、よく分からないといった風に苦笑いしていた。
きっと僕の発音が悪すぎたのだろう。

夜はT田先生にピッツェリアに連れて行っていただく。
我々はホテルから自転車を借りて、待ち合わせのPiazza Cabarri(直訳すると、騎馬広場。街の中心であり、2体の騎馬像がある)まで石畳の車道を走った。
久々のチャリンコはなかなか快適である。別にヨーロッパのチャリだからどうだという訳ではないのだろうが、車道を堂々と走れるのは非常に爽快感がある。
そのうえ夕暮れるピアチェンツァの街の雰囲気は、我々の期待以上に ーーというか期待などそもそも全然してなかったんだけどーー 古い石造りの建築物に囲まれ、小ぶりながら充実しており、美しかった。


こういういい思いをすると、自然に「日本に帰ったらこういうチャリ欲しいなあ」という会話になる。ちなみにチャリはBicicletta と呼び、ここではいわゆる日本式のママチャリに乗っている人は一部である。多くはサドルが高い位置にあり、馴れれば結構スピードも出て快適である。
だが翌日帰り道に自転車店で確認したのだが、高いものは1000ユーロほどする。そもそも歴史ある石畳の道や自然の中を走るから楽しいのだ。夢はあっけなく砕かれる。やれやれ。

ピッツェリアでは、アンティパストにオリーブオイルとニンニクでシンプルに焼いた薄切りの野菜(ナス、トマト、パプリカ、)
それからカプリチョーザマルゲリータ、ナポレターナという3つのピザをいただき、ワインを飲む。デキャンタに1/2Lを3本くらい。ここも昨日と同じく微炭酸の赤ワイン。
ドルチェは「おばあさんのタルト」というなんて事のないふつーのタルトをいただく。
本当はティラミスを食べたかったのだが、A藤くんが先に頼んでしまった。
ちなみに先生のところには注文したのと違うものが運ばれて来た。
イタリアだから仕方が無い、と半ば諦めたように苦笑してそれを食べていた。

話は逸れるが、ピアチェンツァは微炭酸の赤ワインが有名なのだと言う。
我々はこの微炭酸の赤ワインが気に入ったので、翌日スーパーに探しに行った。
しかしまったく見つけられなかった。そもそもエミリヤ・ロマーニャ州のワインはご当地のくせに置いていない(ほとんどトスカーナワイン)。なんとも残念である。

どうでもいいがワインの相場は750mlでだいたい3から4ユーロほどである。
ビールなどは下手すると大瓶で1ユーロである。
だから例えば、今回ワイン2本とビール1本とチーズを買ったのだが、全部で7.5ユーロだった。
酒好きにはありがたい世界である。そもそもワインなんて全然分からないので、いい加減に買ってみてもそこそこ楽しいのだ。

ちなみにイタリアでは高いワインやブランドものが売れているかと言うと全然そんな事ないようだ。
ワイン売り場で観察すると、2ユーロとかの安いヤツを3本くらい適当に持って行っている。
高いヤツはあまり売れていない。比較的古いキャンティ・クラシコバローロが高かった。

かなり脱線したけれど、ピッツェリアでひとしきり盛り上がった後は、みんなで夜景を見に行った。そして一緒に来てくださった先生から、広場でイタリアの外交政策について(ホントはそんな真面目な内容でないけど)話を聞く。
イタリアの国旗の色でライトアップされた教会はなかなかに美しかった。
ピアチェンツァのようなさほど有名でもなく、観光客のいない小ぶりな街でも、それなりに見栄えは整っており、見応えさえある。

こんな風にして今日の実習が終わった。
ちなみにこのブログは一日遅れくらいで、寝る前とか空き時間を使って書いている。
iPad液晶のキーボードはミスタッチが多くて、しかも普段使い慣れているキーボードと全然大きさが違うから、手の筋肉がおかしな事になりそうだ。
日本を発つまえに何度も立ち寄ったapple storeで、迷わずにBluetoothのキーボードを買うんだったと旅行初日からずっと後悔している。