ウフィッツィの朝と夜(8日目、9日目)

リアルト橋を渡ったガレリアにあるカジュアルなリストランテ
ピアチェンツァで先生から教えて頂いた通り、1/2Lのハウスワインを飲む。
meso, rosso, vini della casa.と言うと、わかったというような顔をされ、小さなデキャンタが運ばれてくる。

今回のメニューはカプレーゼ、ペスカトーレポルチーニ茸のタリアテッレ、フィオレンティーナ(Tボーンステーキ600g)。最後にエスプレッソ。これまでの食事の中で最も豪華な夕食である。

再び橋を渡って帰ってくると、シニョーリ広場では楽団がダビデ像の横のステージで演奏をしている。
その前には400ほどの椅子が並べられ、ぎっしりと人が座っている。
僕は柵に身を乗り出して音楽を聴く。声楽あり、ワルツあり。それから有名な曲がいくつか。
端の方では6歳くらいの女の子が飛び跳ね、男の子が数人走り回り、後ろの方で夫婦が軽く曲に合わせて踊る。
最後にはタキシードを着た指揮者が観客席の方を向いて指揮棒を振る。
国歌である。

Fratteli d'Italia l'Italia s'e' desta,
Dell'elmo di Scipio, s'e' cinta la testa.
Dov'e la Vittoria?
Le porga la chioma
Che' schiava di Roma
Iddio la creo
Stringiamci a coorte,
Siam pronti alla morte,
Siam pronti alla morte
l'Italia chiamo Si!

イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた
シピオの兜を頭に戴き
勝利は何処にあらん
主が創りたもうたローマの僕
我がイタリア その美しい髪を捧げよ
さあ隊列を組め、我等は死をも恐れない
イタリアが呼んでいる、そうだ!

隣のおばさんが大きい声で歌う。
今日は建国記念日だったのだ。湿気を含んだ夜の広場に、国歌が響き渡る。
なかなかノリのいい曲である。僕はそれを口ずさみながら帰路につく。

さて翌朝である。
我々はドゥオモのすぐ隣にある、割と感じの良いB&Bに泊まっていた。
今日のミッションはずばり、

「ウフィッツィ美術館に潜入せよ」

である。
美術に興味の無いモンキーは単独行でフィレンツェの風景を写真に収めるという。
僕とA藤くんは朝7時にウフィッツィの入り口に並ぶことにした。

さてウフィッツィ美術館といえばボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」あるいはレオナルドの「受胎告知」「Adoration of the Magi (東方三賢者の礼拝?でいいんだろうか)」などといった、ルネサンス期のメディチ家のコレクションで有名である。

またこの美術館は観客のさばきが効率悪く、ルーブル美術館などと比べ非常に待ち時間が長いことで有名でもあった。一応予約システムを導入しており ーー誰に聞いてもその方法を勧められたのだがーー 宿のおばさんにいくら頼んでも英語でのコミュニケーションが成立せず、受け付けてくれない。そのため我々は早朝に並ぶという究めて単純で非合理的な強硬手段を選択せねばならなかったのだ。

しかし、あろうことか我々がウフィッツィの門の前に着いたとき、そこには誰もいなかった。
昨日のお祭り騒ぎの反動なのか、開館一時間前にウフィッツィに来ようという輩はいないのだ。
朝食を抜いてきたので、A藤くんが近くのバールでパンを買ってきてくれる。

15分くらい早朝のウフィッツィ美術館の前でパンを食べつつブラブラする。同い年くらいのアメリカ人3人組がやってきて僕たちの後ろに並ぶ。しばらくするとスタッフのおっちゃんがやってきて準備を始める。
僕はA藤くんに先頭に並んでもらう。これでウフィッツィ美術館で2ゲットである。

さて数ある名画の中でもウフィッツィで僕が大好きなのは、やはりレオナルドの「受胎告知」と「Adoration of the Magi」である。

この二つの宗教上のテーマ ーー要はキリストが生まれる前に天使がやってきたストーリーと、生まれたあとに三賢者がやってくるストーリーなのだがーー もちろんレオナルド以外の画家も取り上げている。

まずは左側の「受胎告知」を見る。
画面左側に百合の花を持った天使。膝をつき、上目遣いでマリアに語りかける。
右側にはマリア。一方の手で本のページを開こうとし、他方の手指でポーズを作っている。
構図としては伝統的である。表情には驚きというよりも、むしろ静けさと受容が伝わってくる。画家によっては彼女に動きを持たせ驚愕を表現する人もいたが、この場合はそういう動的な感情表現は抑えられている。しかし張り詰めた緊張感が漂う。
両者の間には、奥行きのある広大な自然。大気中に漂う蒸気や微細な粒子による乱反射のために、遠方の風景は淡く見える。レオナルドはこれを絵画で実践した。

右側の「Adoration」。
数多くのレオナルドの作品がそうであるように、これもまた未完であり、色を塗る以前のデッサンである。
構想を練りながら書いていたのか、書き直しの線、中途半端な人物像や植物、書きかけの建築物。遠近法の補助線。色調はあくまで白と黒の濃淡のみで表現される。

1.5m四方のキャンバスの中心には、幼きキリストを抱く聖母マリアがたたずむ。その雰囲気はどこか柔らかい。キリストが手を伸ばし、マリアがそれを抱きかかえる。

しかし圧倒されるのは二人の周囲である。
賢者たちは引きちぎれるような苦悩を顔に浮かべ、手は頭をかきむしり、地を這ってキリストに擦り寄る。その歩みは遅く、まるで見えない何かに押さえつけられでもしているかのようだ。
そしてあらゆる人物は二人を中心に、まるで渦を巻くように配置される。恐怖に慄く人々。暴れる馬。無機質な植物。崩壊の予感を孕んだ建物。
この絵は貧困・暴力・恐怖に支配された当時の世界観と、やがてやってくる救済の予感を、ダイナミックに描き出している。まだ年若いレオナルドが「受胎告知」を伝統的な構図で表現したのに対し、10年後のレオナルドは大胆な構図で、この事件のあらゆる要素を浮かび上がらせようとしている。他の画家のAdorationと比較すると、よくわかる。

さらに着色前のデッサンにもかかわらずこの絵がウフィッツィに飾られているのは、鑑賞に耐えうるその完成度である。これに色が着いたとき、どんなにか凄まじい形相が描かれていたのだろうか。しかしレオナルドはそれをすること無く、この絵を手放してしまった。

いやいや、まったくすごいよなあ。
もし注文をつけるとすれば館内の強すぎる照明のせいで絵がよく見えなかったことである。
なんかコレを観てしまって、もうその後の作品はどうでも良くなってしまう。
実際ルネサンス期をその黎明期から衰退まで網羅するウフィッツィ美術館としては、自然とここがクライマックスとなってしまう。まあそれはある意味で致し方のないことだ。

ウフィッツィを出てランチを食べると、自然と視線が魅惑的なショーケースに向かう。
革製品、文房具、洋服、靴、鞄。
一つ一つの店は小さいながらも、いい所ではいいものが置いてある。けれどもちろん全てがそういう訳ではない。なんとなく僕は京都の嵐山を思い出した。
小物や雑貨がけっこう雰囲気があり、いい味を出している。

僕はモンキーの持ってきた雑誌に載っていた店でコインパースを買った。するとイニシャルを刻印できるサービスがあったので、焼きごてでアルファベットを押してもらう。
モンキーはその店がいたく気に入って、合計6つくらい買っていった。この人はやるときはやる男である。
ちなみにラージサイズで一つ36ユーロ。フィレンツェにおけるコインパースの相場はよく分からないが、まあ安い方ではあると思う。

夕飯を食べて帰り、部屋でワインを飲む。すると外からクラシック音楽が流れてくる。
いい気分になってきたので、僕は一人で部屋から出てシニョーリ広場へ向かった。
建国記念ウィークなのか、今日も夜の広場は大勢の人で賑わっている。

石畳の道路では、チャップリンの格好をした男が風船を使ったパフォーマンスをしている。
大音量の音楽はここから流れてきたのだ。周りにはものすごい数の人だかりである。
一通り終わると、次は群衆の中から3人の人たちを無理やり引っ張ってくる。
大柄の太ったアメリカ人、中学生くらいの女の子、そして5歳位の男の子。
男の子は映画「シネマ・パラダイス」に出てきたような目のクリッとした愛嬌のある子で、タンクトップと短パンという格好だったが、チャップリンによってダボダボの黒の上下とお揃いの帽子を被せられた。
巨漢のおっちゃんは何故か上半身裸にされ、やっぱりお揃いの帽子を被せられ、みんなの爆笑を引き起こす。けれどおっちゃんもニコニコして、楽しんでいる様子である。
女の子は「まあ仕方ないからつきあってあげるわ」といった斜に構えた感じで、しぶしぶパフォーマンスに加わる。けれどさすがはチャップリンである、女の子も徐々に緊張がほぐれていくみたいだった。

チャップリンは音楽に合わせて次々とみんなの爆笑を誘う。
風船を膨らませ、石畳のステージを大きく動き回り、笛を吹いて三人を行進させる。
巨漢のアメリカ人の口に風船をくわえさせて、風船を膨らませるように身振りで伝える。
チャップリンが彼の腹を押すと同時に、風船が膨らんでいく。するとみんなが笑った。

とまあこんな感じでパフォーマンスが終わると、最後に深々とお辞儀をして、ギャラリーは満足そうに拍手喝采する。石畳の上に置かれた帽子のなかに次々と小銭が入れられていく。

人々はばらばらと散ってゆく。先ほどの盛り上がりの余韻を残しつつ。
僕はウフィッツィ美術館の方に足を運んでみた。
すると朝僕らが並んでいた場所の程近くで、アコースティックギターを抱えた兄ちゃんが路上ライブをしていた。曲目はサイモン&ガーファンクル。かなり上手で、すでに多くの人が周りを囲んでいた。二人の女の子が、音楽に合わせて踊っている。僕も階段の適当な場所に腰掛けて、それを聴くことにした。

兄ちゃんはアメリカ人かイギリス人のようで、MCは全て英語である。
"Sound of silence"が終わり、拍手が収まると
「次はみんながよく知っている曲だと思うけど…"アメリカ"です」
と言うと、あの懐かしい感じの、有名な調べがはじまった。

異国の宵闇に漂う"アメリカ"は、いつもより違って聴こえたせいか、シンプルに染みてくるものがある。ドイツ人らしき家族連れのおっさんが、僕の隣で口ずさんでいた。

"I'm empty and aching and I don't know why…"

なぜこの曲に未だに心を動かされるのだろうか。いい曲である。

"…All come to look for America…"