Gruppo Otologico(5日目)

ヴェローナボローニャは思い切って省略してしまいます。
時間があるときにまたふりかえってみます。
さて、ピアツェンツァに到着したのである。

ここは我々の目的とする、Gruppo Otologicoのある街である。
権威としてその名を轟かす、マリオ・サンナの手術を見学に我々はここまでやってきた。
じゃあ今までのミラノだとかヴェローナは何なんだ、と疑問に思う方は多いと思われる。
しかしそれについては 
niente
ということで。気取ってみました。

今日は聴神経鞘腫の手術が3件。
手術は三段階に分かれ、最後の腫瘍摘出をサンナ氏が担当する。
オペ室にはトルコ、レバノン、オランダ、インドネシア、それから日本と、様々な国籍のドクターが見学に来ている。
僕が一人でオペを観ていたら、トルコ人の女医さんがにっこりと笑いかけてくれ、握手をする。
「ここにはいつ迄居るの?」と聞かれる。
「残念ながら3日しかいないんです」
「ほんとうに? 今は大学休みなのかしら?」
「まあ…そんなものです」

サンナ氏の超速の手術はあっという間におわってしまう。
あまりにあっけなさ過ぎて、本来のこのオペの難しさを忘れてしまうくらいだ。こういう錯覚は、例えばフェデラーが簡単にテニスをしている様に見えるのと同じかもしれない。
このスピードと正確さは、「どこまで切ってよくて、どこからはメスをいれてはいけないのか」という解剖を知り尽くした人のみが出来る業だという。

その後は若手の先生が後半の処置をする。今回担当するのは日本人の先生である。
やたら盛り上がっていると思ったら、オペ看と麻酔医と下ネタで盛り上がっているらしかった。
「最初さあ、面白がってイタリア語の卑猥な言葉ばっかり教え込まれたんだよね」
先生はそう言うが、下ネタをシチリア語で吟じる東洋人として、今やオペ室の人気者となっていたのであった。
先生はイタリア語の教室に通い始めたばかりらしかったが、すでに簡単な会話だけなら問題なくこなせる様である。


その後はランチを一緒に食べ、食後はカフェでコーヒーを飲む。
我々はモロッキアーノという名の付けられた、4層のカフェラテを勧められた。
ロッコのカフェが由来なのか、その様な名前が付けられている。
カカオ、チョコラッテ、ラッテ、クリーム(たぶん)が重ねられる。
それを最近彼氏ができたばかりだというステファノが、カウンターに手際良く4人前作ってくれる。
イタリアにおいてコーヒーは無くてはならないモノである。
ちなみにオペ看の女性は、手術中にもかかわらず、手袋を二重にはめてコーヒーを飲むのだという。よく見たら、麻酔科医も、新聞読んだり数独解いたりしながら、コーヒーを飲んでいる。そして飽きてくるとブラックジョークや下ネタに興ずる。

日本人の先生との話題は、だんだんイタリアの愚痴へと転じていく。
例えば郵便局でとんでもなく長い行列がつづき、しかも一向にそれが進まなかったりする。
すると大抵、隣に座りあった局員同士で喋っているのだという。それでいて、誰も怒ったりしないのだ。
日本の几帳面さとイタリアの好い加減さ。しかし長い間イタリアに暮らしていると、どうも軍杯は後者に上がるようである。それは皆が認めていた。

最後の手術を観ると、別の先生がジェラテリアに連れて行ってくれる。
我々はそれを公園で食べながら、さまざまな話を聞く。
イタリアの奇妙な渋滞事情、ウフィッツィ美術館を上手に観る方法、ドラッグ事情などなど。
「君ら見たでしょ、イタリアの喫煙率。女性でもスパスパ吸っとるやろ?」
確かにタバコはジュースか何かと同じくらいの感覚で吸われている。きっとイタリアでノンスモーカーを貫くのは難しいだろう。
「あれな、たまにマリファナだったりするんよ。すごい数出回っとる。下手すると高校生くらいから」


「イタリアに来て思ったんだけど、やはり、人生は楽しむべきなんやなあって思うよ」
と先生が言う。
後ろの芝生では、子供達が熱心にボールを蹴っている。
ベンチでは、おばさんたちが楽しそうに会話をする。
太陽はさんさんと照り輝いている。
確かにそうかもなあ、と僕は思った。

帰りに大型スーパーマーケットで、水などを買いためる。
意外と日本のスーパーマーケットと作りが似ていて驚く。
ホテルに帰り時間を持て余していたら、フロントのお婆さんにイタリア語を少しだけ教えてもらった。
それから地震の話題になる。後からフロントにやって来た、英語の多少話せるお姉さんがこう言う。
「今回の地震のことはとても気の毒だったわ。けれど、日本の人々は強くて、素晴らしいわ。私は日本の文化にとても敬意を払っているの」
ありがとう、と僕は礼を言う。それから少し話し、お姉さんたちが帰って行く。
夜の8時。そろそろ日が沈み始めていた。

さて夕食はサンナと食事会である。
T田先生の歓迎会だという。各国から勉強に来ている先生方と、イタリア人のスタッフ、合わせて20人くらいの大所帯である。ありがたいことに、我々も参加していいとのこと。
病院から車で10分ほどの距離にあるアグリツーリズモに連れて行ってもらう。
農家が経営するリストランテである。
沈みかけた夕焼けを背にした牛や山羊が牧草を食む。
我々はそんな田舎の自然の中で、郷土料理をいただいた。

アンティパストはサラミとプロシュート、カマンベールチーズにコッタというパン。
コッタをちぎって、間にこれらを挟んで食べる。
その間に赤ワイン。とてもまろやかで飲みやすい。2本目は微発泡の赤ワイン。
ここでは白いボウルの中に注いで飲む。そして皆が手酌で飲む。
スペイン人のドクターがついでくれる。スペインは日本と同じ様に、みんなについで回る文化があるようだ。
どんどん飲んでいるうちに、なんだか一人で一本くらい開けてしまった気がする。しかし、不思議なことにまったく酔わない。日本だとワインを飲むとすぐ酔ってしまうのだが。
それからクリームチーズのショートパスタ、リゾット。
メインはスモークした肉を切り分けた、いたってシンプルなものである。しかし旨味がつよいので、むしろ無駄な味付けはいらないのかもしれない。

しかし、イタリア人は楽しむという事にかけては一流である。
おしゃれ、お喋り、食事、恋愛、芸術、スポーツ、バカンス。
それがいいかどうかはさておき、やり過ぎなほど首尾一貫したこの享楽的な姿勢には、少しくらいは学ぶべきものがあるかもしれない。どうせしがない人生なんだから、楽しもうじゃないかという雰囲気がありありと感じられる。先ほど公園で先生が言っていたように。
「どうすればあなたの様な世界的な権威になれるのか?」
A藤くんが真面目に質問した。
するとサンナは  ーー彼の手術を受けにヨーロッパ中から患者が集まり、世界中の耳鼻科医が無給でこの田舎町に学びに来、彼自身は何冊もの医学書を書き、毎日のように手術をし、そして数億の金を稼ぐらしいのだがーー すかさずこう答えた。
「女だ!」
両脇の女性(スペイン人とオランダ人)の肩をしっかりと抱きながら、彼は笑っていた。

なんともいい経験であった。
あと、もう少しスペイン語を真面目に勉強すればよかった。