ボローニャと壁と悪魔(8日目)

11:45AM、ボローニャ
ものすごい混雑である。

今日は平日のはずなのに、ここボローニャ駅には所々にスーツケースを引きずりまわす人の列がそこかしこで生まれている。
耳を澄ますと、英語をしゃべっている人が多い。アメリカは今日から長期休暇でも入るのだろうか。
それから、おなじみのショートパンツにノースリーブのバックパッカーたち。民族衣装を身にまとってイタリアに逃れて来た難民たち。それからアジア人の観光客。小銭の入ったカップをチャリチャリ鳴らす、物乞いの人。

ピアチェンツァでの3日間の実習を無事に終え、我々はこれからフィレンツェに向かう。我々が購入したユーレイルパスでは、レジオナーレ(長距離のローカル線)の2等席しか座ることはできない。レジオナーレだとピアチェンツァからボローニャまでの電車はあるが、ボローニャからフィレンツェまでのモノはない。従って一人10ユーロずつ追加料金を払ってユーロスターに乗ることになる。

ユーロスター

狭苦しいレジオナーレに身を寄せ合って長時間。のろのろ駅から駅へ乗り継いできた我々にとって、まさに未知の電車である。しかもユーロスターとは小学校だか中学校の社会の教科書に載っていた、「あの」ユーロスターである。夢は膨らむ。そして我々は夢を膨らませながらボローニャ駅の長い長い列に耐え忍んでいるのであった。

しかし5つあるはずの窓口のうち、開いているのは3つ。残りの2つは、にべも無く閉ざされている。これは駅員がランチタイムをとっているか煙草を吸っているのである。しかもイタリア語の通じない観光客も多いので、窓口の回転はますます悪くなる一方であった。

「あ」
A藤くんが小さな声をあげる。すると、もう一つの窓口にするするとサッシが降り、さらに窓口が閉じられてしまう。残りの窓口は二つである。彼らには、目前にそびえた長蛇の人垣が見えていないのだろうか。

しかしボローニャ駅の混雑で弱音を吐くようでは、耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ農耕民族ジャポネーゼはやってられないのである。特にイタリアにいる場合は。
耐え忍ぶうちに、太ったおっちゃんがPrego!と言う。我々の順が回って来たのだ。

ー私たち、トレニタリアパス、持っている。
   これに追加払って、乗りたい、13時の、フィレンツェ行のユーロスター
ー×××!
ーは?
ーFull!(と、画像を見せながらおっさんが言う)
ー次のユーロスター、Fullなの?
ーSi.
ーじゃあその次のヤツで。
ーこれもFull、これもFull、これならおk。

最終的に我々がゲットしていたのは16:38であった。当初の予定出発時刻の3時間後である。
平日だと思って油断した我々の敗北である。まさかこんなに混んでいるとは。

まあとにかく今日のうちにフィレンツェに到着しそうだ。よかったよかった。ちなみにボローニャからフィレンツェまでは、ユーロスターではわずか37分である。気分も高揚するというものだ。

荷物を駅に預けボローニャの街に出かける。
駅にはスーツケースなど大きな荷物を預かってくれるところがあり、5時間までなら1人4ユーロである。代表者ひとりのパスポートをコピーしてもらい、人数分の引換券を渡される。荷物を受け取るときに時間に応じて後払いすればよい。

我々はうらぶれたトラットリアでボロネーゼを食べ、奇妙で大きく訳のわからない市場を歩き、そのうち暑さに音をあげてジェラートを食べる(我々もジェラートが無いと生きていけなくなってしまった)。

教会は椅子があるし涼しいので、歩き疲れた観光客が多い。モンキーはまっさきに椅子に座り込んで大きく息を吐いた。その間に僕は教会の中をぐるっと歩いた。

教会の中には人だかりがいくつもある。そのなかの一つの人垣の隙間から覗くと、サッカーボール大の金属球が天井から紐で吊るされ、円を描く様に揺れている。フーコーの振り子だった。
さらに、これ以上無いほど悪趣味でグロテスクな「最後の審判」を見たりして時間を潰した。
ボローニャの悪魔は股間にも顔があり、その顔が人を食っていた。もちろん上の方の口も人を食っている。アメリカ人の女子大生の団体が、食い入るようにその奇妙な絵を眺めていた。僕もその隣で、そこそこ興味を持ってその壁画を見つめた。

出発予定時刻の10分前にボローニャ駅に戻ってくると、電光掲示板に「20分遅れ」の表示が輝いていた。まったくもう。さらにそれは25分遅れとなり、そのうちに30分遅れになる。そもそも電光掲示板に「Delay」の欄が設けられている所からして確信的である。
仕方がないので我々はホームの隣にあるバールに入る。僕とモンキーは赤ワインを頼み、A藤くんはリキュール入りのコーヒーを注文する。全員で6ユーロ。

さてユーロスターである。
今まで乗ってきた電車は何だったんだと思ってしまう。
まず清潔感が、というか匂いが違う。
ふかふかのゆったりとした椅子。コンセントもあるし、有料だがwi-fiも使える。
四人席のコンパートメントになっていて、目の前のテーブルを開けば食事も勉強もトランプもできそうだ。
それでいて少なくとも東北新幹線よりも静かだ。これで2等車なのだ。

僕はすっかりユーロスターが気に入ってしまった。
だが残念ながら、あまりに快適すぎたため、車窓を楽しむことも無くあっさり入眠する。

さてさて、我々を載せたユーロスターフィレンツェS.M.N(サンタ・マリア・ノヴェッラ)駅に到着する。
夕暮れる花の都。フィレンツェにようやくやってきたのである。