食事の値段(1日目 その2)

ブエラ美術館。
学生あるいは観光客達が中庭に腰掛けてぼーっとしている。
中央には像がある。偉そうだ。いろんな人がその像の下で写真を撮っている。
何かを権威付けて過去に残すという意味では石像はもってこいかもしれない。

我々は9ユーロ払って中に入る。最初は19世紀のイタリアの画家の企画展をやっていた。
古典を題材としたルネサンス期の技法を踏襲しつつも、ときに現代的なテーマに遭遇する。
さてそれを通り抜ければ常設展である。大小合わせて展示室が20近くもある。しかも一つ一つがうんざりする程大きい。
ヨーロッパの美術館かくあるべし、我々も腹をくくらねばならない。団体行動は一旦やめて、しばし自由に歩く事にする。

15世紀の宗教画から始まる。僕が最近好きな分野だ。おそらくは教会に飾られていたであろう数々の絵画が並べられている。
そこにルネッサンスの胎動を感ずるかと問われれば…うーむ、どうなのだろう。
ただ面白い事は面白い。本物の宝石が絵画の中に埋め込まれており、正面から見ると聖人達がこちら側に浮き出ている様である。現代で言うところの「眼鏡の要らない3D」である。
さらには巨大なガラスケースの中で絵画の補修を行っている。
絵画の補修といえば、「パリ・ジュテーム」という映画そんな話があった。パリの絵画工房で働く美少年に運命的な恋をする男の話だ。あれはスピード感があるうえに「男かよ!」というオチなので割に印象に残る。
「パリ・ジュテーム」はオムニバスの短編集で、全部観るのは大変だったけれど結構面白かったな。オススメです。

カラバッジョの「エマオの晩餐」が現れる。確かカラバッジョは何かの罪でイタリアを逃亡し続けながら絵を描いた。ドラマチックな光のコントラスト。写真のない時代にこれだけのモノを描いたのだ。

突然黒髪の女性と4秒くらい目が合う。射抜く様なその目に一瞬たじろぐが、顔には見せない。
イタリアには観光客は数多くいるが、やはり我々東洋人は時として非常に目立つ。
そして絵画を見ていると、先ほど目の合った女性とすごく良く似た顔立ちの人物が登場しているのが分かる。
そのとき僕は思った、彼らは単に絵画を鑑賞している訳ではないのだ。
彼らは、絵画を通して彼ら自身の歩んできた歴史を観ているのだ。
僕たち日本人が、仏像などにに籠められた様々な願い、あるいは当時の時代背景に想像を膨らませるように。
我々が他人事として眺めている様々な歴史は、彼らにとってはかけがえの無い事実であったりもする。

ブエラ美術館を出ると、ちょうど時刻は正午。
美術館の中庭で我々も一息いれる。
モンキー「疲れましたねえ」
A藤くん「昼飯、どうする?」
僕「俺、あまり腹減ってないなあ」
しかし腹の都合より脚の疲れを優先し、昼飯を食べる事にした。
ブエラ美術館から少し歩くと、リストランテやトラットリアが現れる。
我々は、値段がちゃんと表記してあり、その上極力安い店を探す。すると一つの店が現れた。
スパゲッティーニが7ユーロ、ラザニエッタも7ユーロ、ペンネが9ユーロ。
リストランテと書いてあるが…まあ、大丈夫だろう。ぼったくられたりは、しないだろう。
何より3人は軽い疲労を感じていた。帰るところがなく移動を強要される旅行者ゆえの悩みである。
もしも我々の決断に誤りがあったすれば、ミラノの比較的賑やかな通りのリストランテに入るという選択だったかもしれない。

「店の中がいい? 外がいい?」と聞かれる。別にどっちでもいいが、インサイドと答えてみる。
すると何やらごにょごにょ言われ、何故か外に通される。ん?

愛想のいいおじさんがロゼのスパークリングワインをつぐ。
これは食前酒でフリーだという。
「カンペー?カンパイ?」
我々は乾杯の方である。俺たちは日本人です、とモンキーが言ってみる。
「ジャポネーゼ? イタダキマス!」
おじさんは他にもっと飲まないのかと聞いてくる。節約旅行を旨とする我々ではあるが、たまにがグラスワインの一杯でも良いんじゃないかと僕が言いかけたそのとき、モンキーがすかさず言う。
「ワインは要らない」
おお…さすがは我らのモンキー。押し通す。

「え?本当に?」とオッサン。
「水をくださいな。ガス抜きで」と、モンキー。
「ノーアルコール?」
食前酒を飲んだくせにワインは飲まないんかい、と言う事であろう。気持ちはなんとなく分かるが、おそらくそれで良かったのだ。ガス抜きミネラルウォーターのボトルが運ばれてくる。

しばらくすると、常連の女性客が慣れた様子でおっさんと一言ふた事会話を交わし、何かを注文する。やはりロゼの食前酒が運ばれ、それから白のグラスワインが運ばれてくる。
グラスワインくらい、頼んでもよかったんかなあ…などと、僕は思っていた。

我々のもとに湯気を立てた皿が運ばれてくる。
モンキーはアーリョ・オーリョ、A藤くんはペンネ、そして僕はラザニアである。
ラザーニャ?と僕が発音すると、おっさんはこう言う。
「これはラザニエッタ。イタリアのラザーニャは普通小さいけれど、ここのラザニエッタは大きいやつだよ」
ラザニエッタは美味しかったが、その巨大さゆえに最後は飽きてしまった。モンキーとA藤くんに手伝ってもらう。

食後はノリでエスプレッソを頼んでしまう。
モンキーは「チェックプリーズ」と言う。皆が気にしていた総額がいま発表される。
ドキドキしながら伝票を見る…なんとサービス料を含め占めて3人で55ユーロ!
ゴチバトルで負けた気分である。

この間トイレに席を立っていたA藤くんに「ねえ幾らだったと思う?」と聞く。
しばらく考えてから、35ユーロくらい?と彼は答える。しかし現実はプラス20ユーロである。
「なにー!」

後日いろいろ食べ比べてみて感じたのだが、イタリアでは味と値段は相関しない。
味はまあまあでも、サービス料とか場所代だとか、そういうのでがっぽり持ってかれてしまうのだ。
よく考えてみれば当然だけど、旅行中はそういう発想が何故か希薄になる。
しかし殊食事にかけては日本人の価値観はあまり通用しない。何が安くて何が高くつくのか、我々はもう少し学ばねばならないだろう。

長くなったので、とりあえずこの辺りで。