大聖堂の朝(1日目 その1)

夜中に誰かの携帯電話が鳴っていたらしいのだが、目を覚ましたのは一人だけだった。

皆が目を覚ましたのは朝の7時。荷物を整理し、着替え、諸々の支度を済ませて朝食を食べにゆく。

僕はチーズとハムと白パンスクランブルエッグ。残念なことにサラダはなかった。
その代わりにリンゴやすももが置いてある。これらは後に部屋に持ち帰られ、夕刻頃に食される事となる。
食後にエスプレッソを飲む。
Nuttelaの一食分バージョンが置いてある。これはヨーロッパ共通なのだなと興味を持ち、特に理由もなく1つ持ち帰る。

さて我々は地下鉄でLima駅からDuomoへと向かう。500年かけて作られた、ミラノの偉大な大聖堂。今日も朝の光を背に受けて輝いていた。
カバンの中身をチェックされ、中に入ると朝の教会は観光客も少なく、静謐そのものであった。
ステンドグラスから光が差し込み、誰かが膝をついて熱心に祈りを捧げている。
彼らをなるべく邪魔しないように、静かに聖堂の中を歩く。
まったく、人間という生き物はこれだけ大きく美しい空間を作ってしまうのだ。
たとえそれを命じた理由が教会権力であれ俗世の人間であれなんであれ、命じたられた人々はその要求と想像を遥かに超える建築を作り上げてしまう。
いったい何がこの様なエネルギーをひきだすのか? 大聖堂を歩いていると、そんな風に思わずにはいられない。

5ユーロ払って大聖堂の屋上を見学する。ヨーロッパの古い建築によくある、狭くて暗くて急な階段をグルグルと登りつめる。
これは本当に大変だった上に、(5ユーロ返せ!)、大して面白い景色でもなかった。下の大聖堂で涼んでいる方が良かったかもしれない。
そのうえミラノは網膜を焼いてしまう様な強い日差しが突き刺さる。あとで知ったが29度という事だった。絶対それ以上暑かったけど。
23歳の男性ですら息が上がるのだから、杖をついたドイツ人の伯母さんたちの苦労は推して知るべしである。どうしてこんなものに登ろうと思ったのだろう? ただ大聖堂の屋根に登ったという事実のみが残った。幾人もの聖人達が孤高からミラノの街を猊下している。

その後はドゥオモすぐそばのガレリアという昔ながらのアーケードを通り抜け、スカラ座の前まで歩く。
スカラ座の前にはレオナルド・ダ=ヴィンチの像がある。我々はその像の前のベンチでしばし休憩する。
「さて、ここからどこに行く?」
「最後の晩餐」を断念した我々がミラノでやりたいと思った事は、昼飯前にしてもう終わってしまった。
僕はガイドブックを見せてもらうと、「ブエラ美術館」なるものが近くにあるのを見つけた。
ルネッサンス期の絵画を収集、美術学校と併設、などと書いてある。美術館フリークの提案により、われわれはそのあまりパッとしない美術館に向かった。

イタリアの一般車道はいつでも両脇を路駐車が途切れなく占領している。仙台の広瀬通と違うのはそれがアウディなりフォルクスワーゲンであったりする、という点である。しかし車は例外なく汚れている。「塗装もどことなくいい加減だよね」とA藤くん。しかし日本では売られていない車種がかなり多いという。
美術館の近くという事も手伝い、この小道は個人の画廊やら油彩具の専門店などが軒を連ねている。
道の途中に突如、胸像を掲げたバラ園が現れたりする。陸軍の車両が止まっていて、中から兵士がぼんやりと街の様子を眺めている。
まだ人々の姿はまばらである。ようやくトラットリアやリストランテは店を開け、準備を始めたといったところである。

さてブエラ美術館に到着した。
これは予想よりずっと立派な美術館だったのだが…。
続きはまた後で。