マクベス、マクベス、マクベス

いまシェイクスピアの『マクベス』を読んでいる。

マクベス』といえば、『オセロー』『ハムレット』『リア王』に並び称される、四大悲劇の一つと呼ばれている。



なにより有名なのが、三人組の魔女。

マクベス』という劇は、こいつらの

   『きれいは穢い、穢いはきれい』

という意味深な歌から始まる(ホントはもう少し前にもセリフがあるけど)。



地獄の窯を煮詰めたり、踊ったり、歌ったり、呪ったり、予言したり、幻影を見せたり、いわゆる誰もが真っ先に想像するような『魔女』そのもの。

突然出てきたと思ったらすぐに消え、読者が(あるいは観客が)忘れたころ、ふいと三人一緒に舞台に登場したりする。

彼女たちが畳みかけるように放つ言葉のリズム感と不気味さとおかしみは、この劇の魅力の一つでもある。



僕はけっこうこの魔女の存在が気に入っていて、ことあるごとに思い返している。

きっと、魔女が3人だから面白いんだろうな。

逆に言えば、魔女の数は3人でなければならなかったのだ。

こういうところが、シェイクスピアの天才的なところだと思う。



あなたがシェイクスピアだったとしよう。

さて『マクベス』という劇を書くにあたって、主人公をそそのかす魔女を登場させたい。

どんな魔女にするだろうか?




まず魔女は、主人公を動かすような言葉の力を持たねばなるまい。

しかし魔女はあくまで脇役だから、マクベスの主役の座を喰うようなキャラではいけない。

というわけで、数を増やしてセリフを畳み掛けることにしたんじゃないだろうか。

ハムレットの復讐を教唆するのが父親の亡霊だったことと対照的だ。

きっと野望をそそのかすのは、死んだ父親や神様よりも、魔女とかがいいだろう。

まああくまで勝手な空想だけど、これはこれで説明がつくような気がする。



かといって、2人、あるいは4人だったりしたら、魔女たちの存在感はぐっと減ったと思う。

やはり読んでいて感じるのは、3人だからこその抜群のおさまりの良さ。

3っていう数はなかなか便利である。

そう思ってぱらぱらと読み込んでいくと、この『マクベス』という劇には3という数字が散りばめられている…気がする。