事実は小説より奇なり

さてマッチングの試験やら面接も昨日をもって無事に終了したので、いくらか肩の荷が下りた。これからは卒試シーズンであるのでより一層勉強に励む所存であるけれど、その前に少し書き残しておきたいことを書いておくことにしよう。

今年の夏もっとも面白かった本、それはもう疑う余地なく『眠れない一族』であった。

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

この本は少々医学知識が求められるのでとっつきにくさがある感は否めないが、それでも予備知識ゼロで予断を持たずに読むのがいいと思う。ずっと昔に埋もれてしまっていた知的好奇心が久しぶりに刺激された。これこそページ・ターナー(次々とページをめくらせる本)だったと言っても過言ではない。

『眠れない一族』の魅力を紐解く前に、優れた本とはどういうものか少し触れてみたい。優れた本について考えるとき、よく僕が思い出すのは下の三つの言葉だ。

●『小説とは書いてあることよりも、書かれ方が重要である』(大江健三郎
●『詩とは陶酔である』(丸谷才一
●『物語というのは丸ごと人の心に入る。即効性はないが時間に耐え、時と共に育つ可能性さえある』(村上春樹

優れた本というのはページを開いた読者を異世界に引きずりこまねばならないし、また最後のページまで彼らを導く技術が必要である。正直書いてある内容は二の次だ。読んでもらえなければどんなに優れたことが書かれていても本としては用をなさない。
その一つの原動力として、文章の巧みさと物語の構成力が求められるだろう。優れた芸術は人を陶酔させるというのは言い得て妙である。
また再読に値する本に巡り合えた読者は幸せである。何度読んでも新しい発見がある本、それが優れた本であると僕は思う。時間に耐えるとはそういうことだろう。

以上はいずれも小説や詩の世界について語られたことであって、本作品のごときプリオン病をめぐるノンフィクションにその条件云々を当てはめるのは筋違いだろうと思う。
しかしどういう訳か、『眠れない一族』は以上の条件をあっさりと満たしてしまっているのだ。(時間に耐えられるかどうかは分からないが、おそらくは幾つかの普遍的な教訓があると思う)

読者はプリオンという謎を巡る様々なストーリーを、時空と国境を超えて目撃することができる。
イタリア、イギリス、パプアニューギニアアメリカ。章の構成が非常にドラマチック、そしてリズミカルである。
めまぐるしくスイッチする舞台と登場人物は、さながらフォークナー、いやガルシア・マルケスの小説を読んでいるような気分になる。
プリオンという謎を中心にした縦の糸(歴史)と横の糸(同時代での他国での出来事)を上手に描き出すことに成功している。
古代から世界を静かに侵食していたこと、そしてそれは人類にどのような病をもたらしてきたのか、謎が明らかになるにつれ、読者は大きく揺さぶりをかけられるだろう。

またその中心となる致死性家族性不眠症という奇病をめぐるドラマチックな人間模様、これも実に魅力的だった。
物語は18世紀のイタリアから始まる。200年以上にわたり一族が苦しめられ、やがて病に立ち向かっていく様子が仔細に描かれる。
同時にわれわれは科学、ことに医学がどのように発展してきたのかを目撃することにもなるだろう。
そこには決して英雄はいないし、マッドサイエンティストのような輩まで出てくる。
だが読者は数多くの科学者達が成す地道な努力が、プリオンという巨大な謎を徐々に明らかにしていく様子を追体験するだろう。これは非常にスリリングである。

そして筆者の歴史・文化に対する造詣も生半可なものではない。それがこのノンフィクションの様々な挿話を鮮やかに彩り、物語全体の構造を見事に引き締めている。
イギリスにおける羊の交配の歴史やその時代背景。パプアニューギニアの民族文化や言語、イタリアにおける医学の発展、そして狂牛病を巡る世界(とくにイギリス)の動向。
こうした手抜きがない仕事は、読者を幾分辟易させてしまうのが常なのだけれど、彼は絶妙なバランスでそれらの逸話をまとめ上げる。話の流れを決して遮りなどはしない。驚くべき勉強量、そして手腕である。

此処まで来てもはや言うまでもないが、全体的に非常にバランスが取れていて、文章のうまさも絶品である。その質を保ちながら、これほどの情報量を一人でまとめ上げて書き著すのに、どれだけの労力がいることだろう。しかも筆者自身もある神経疾患に罹患している病身なのだ。もうひたすら圧倒された。

この本はあくまでノンフィクションであり小説ではない。まあ「事実は小説より奇なり」ともいうけれど、ここまで物語のうねりが凄い小説というのは中々お目にかかれない。
それに事実を小説のごときストラクチャーに落とし込み(一見ばらばらに思われる様々なストーリーがクライマックスに向けて集約していく構造は、確信犯だと思う)、それでいて見事に成功している例はなかなか無いのだ。そういう点でも、この本は非常に優れていると思われる。

というわけで、もしよかったら是非読んでみてください。



…どうでもいいけれど、『眠れない一族』のおかげで読書スイッチがオンになってしまったので、今はガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んでいる。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

大学入学したときくらいからずっと友人に散々すすめられていたが、卒業間際にようやく手を付け始めた。『コレラの時代の愛』『愛その他の悪霊について』とかは読んだのだけれど、どうしてもこの本は興味をそそられなかったのだ。

でも『眠れない一族』に『百年の孤独』に登場する伝染性不眠症が言及されており(あの作者はこんな分厚い小説も読んだのか。凄まじい勉強量だ…)、これは読むっきゃないと思い近所のビレッジヴァンガードで購入した次第です。

これもマコンドという架空の町に住むある一族について書いた小説であるけれど、似たようなモチーフでありながら、小説とノンフィクションではこのようにアプローチやディテールが違うのかなどと、優れた小説と優れたノンフィクションについて色々比較したり考えたりしてそこそこ楽しんでいます。

さて勉強するか。