サウンド・オブ・サイレンス

家の近所の小さな飯屋で冷やし坦々麺を食べてきた。待っている間に、こんな本を読んでいた。

飯沢耕太郎『写真を愉しむ』岩波新書

写真を愉しむ (岩波新書)

写真を愉しむ (岩波新書)

かなり前に読んだ本だけど、久々に読んだら写真が撮りたくなってきた。この本は肩に力が入っていなくて、中立的ですこぶる読みやすいが、かといって淡白でもない。
写真への静かな愛情がひしひしと伝染する。

僕自身が写真を始めたのは大学生になってからだが、写真のことは何も知らずに部活に入ってしまったので、最初は色々な写真家の作品を見て勉強した。
写真展がやっていれば出かけて観に行ったし、写真集も何冊か買った。この本も、その一連の流れで勉強のために買ったものだ。当時は写真をよく撮った。

その過程で見つけた多くの印象的な写真家のうち、すぐに名前が挙がるのは、荒木経惟アウグスト・ザンダー植田正治だ。三人のスタイルに共通点は殆ど無いけれど、彼らの人物写真は実に魅力的だと思う。僕も彼らの作品に触発されて、人物写真を好んで撮るようになった。まあ当然、あんないい作品は撮れてないんだけど。

特に荒木経惟は凄いと思う。この人の作品は一見エロいので敬遠されがちだが、まあ確かにエロいけど、エロスの奥に蠢く生命を表現しようとする技術と哲学は一級だと思う。

今更僕が何を語れるわけでもないが、この人が人物写真を撮るとそう感じずにはいられない。しかも不思議なことに、だんだん人間とか人生について考えさせられる。
そういうのが才能だと思う。優れた才能とは、人の心にすっと入り込み、有無を言わさず圧倒的にねじ伏せ屈服させてしまう、暴漢のようなものかもしれない。



ところで来年の春には卒業してしまうので(予定)、もう暗室で現像作業ができなくなる。
これはまったく、心残りでならない。人生の大きな損失であるといっても過言ではない。

暗室は究極の箱庭だと思う。闇の中でひたすらに何かと向き合い続けるあの時間。
ライトを消して作業を進めていくうちに、自分が何処にいるのかが怪しくなってくる。
すると次第に現像や印刷という単純かつ複雑な暗室作業が、やめられなくなってしまうのだ。まるで閉じ込められてしまったかのように。

ふと気が付くと、暗室には僕しかいないはずなのに、いつも何かが闇の中に息づき始めている。
だけどそいつは暗闇にしかいられないから、電気を点けさせないように、ひたすら人に写真を焼かせ続けるのだ。

アレはなんだったんだろう。だけど、ときどき無性にあの闇の中に戻ってしまいたくなる。

暗闇で黙々と写真を現像していた時間も ―まさかそんな大学生活を送るとは想像もしてなかったけど― 悪くなかったなあと思う。

というわけで、ベタにサイモン&ガーファンクルです。ではまた。