一人ぼっちということ

先日J禅寺通りを自転車で颯爽と走っていたら、通りに面したカラオケ屋から音楽が流れてきた。

曰く「あなたは一人じゃない」と。余計なお世話である。

最近頻繁に耳にする“あなたは一人じゃない”というメッセージ、いつから斯くの如く巷に溢れるようになったのだ?

そういう風に言われ却って己の孤独が浮き彫りになるのはきっと僕だけじゃあるまい。

一人じゃない・皆がいると誰かに励まされて、直ちに雲散霧消するほど孤独とは浅いものではない。というか孤独がそんな低質なものであってはならないはずなのだ。

あの大震災のあとに恥ずかしげもなく流れ続けたCMを見た人々は、自分の孤独を埋めてくれる優しい他者を見出せただろうか?




聴いていて恥ずかしくなるような曲。言葉を適当につなぎ合わせた、いつもの感動の物語。

そういうのは、もうやめよう。

今の我々には、そんなものよりも、もっと大きな言葉や音楽、芸術が必要だ。そしてこれらはすべて、孤独という闇を潜り抜けないことには生まれえないと思う。



僕はおそらく坂口安吾に大きく影響されている気がする。坂口安吾のことを考えるとき、僕はいつも「風と光と二十の私と」という随筆を思い出してしまう。

≪君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから≫

僕は中学生の時にこの本を読んで、ずっと不思議に思っていた。

なぜ不幸や苦しみが人間の魂のふるさとになりうるのだろう。ふるさとというのは、もっと暖かくて、穏やかで、落ち着く場所のことを指すのではないか?

でも今はなんとなく分かる気がする。孤独の怖さと優しさをとことん知ることが、あるいは孤独と向き合うことが、辛いけれどかけがえのない大切な経験になるのだと思う。