幸福論

勉強の休憩にyou tubeエレファントカシマシの『珍奇男』のライブを流す。

汗を流しながら叫ぶ宮本氏の迫力はすさまじい。

23、4歳の男がこの歌を歌ったんだぞ。本当なのか?

http://youtu.be/ARuVWCFpbhM

この歌を聴くといつも励まされるのである。



それでふと戸棚から『ラッセル 幸福論』を取り出す。適当にページを繰ってみると、以下のようなページに遭遇した。以下抜粋。

「今日、知的な青年たちは、世界中のどこよりも、たぶんロシアにおいて最も幸福である。

そこには、創造すべき新世界があり、新世界を創造する際によるべき熱烈な信仰がある。

年寄りは処刑されたり、餓死させられたり、追放されたり、あるいは、その他の方法で粛清されてしまった。

ために、年寄りは、ヨーロッパのすべての国におけるように、若者たちに、害を与えるか、それとも、なにもしないでいるか、の二つに一つを無理やり選択させることはできなくなっている。

(中略)

この新世界が作り出されたあかつきには、普通のロシア人が革命前よりも幸福になることは、まずまちがいない」

ラッセルの幸福論は1930年に書かれた。その後80年の世界史を知る我々にとってみれば突っ込みどころ満載である。が、それはひとまず置いておこう。

「知的な青年」が幸福になれるかなんて誰が考えてくれるだろう?
 
僕はむしろそうしたラッセルの教育者としての懐の深さに感服したのである。そして「知識人」という人種が嘗て存在し、それが一つのブランドでありえた時代に思いを馳せた。

もし現代の日本で革命のごとき歴史的転換が起こり、1930年代のロシアのような状況になったとしたら、日本の「知的な青年たち」は何を思い、どんな行動を取るだろうか?

そこには創造すべき新世界があるだろうか?

問題なのは「知的な青年」がどこにいるのか誰も分からなくなってしまった、ということであろうと思われる。あるいは、どこで育てられているのか、ということも。