ピカソは何故
そんなに遠い昔のことでもないのだけど、振り返ってみれば10年近く前の話だ。
中学生の時、選択授業というのがあり、僕は美術を選択し油絵を描いていた。
何故だか当時の僕は西洋絵画に興味を持っていて、美術室にあった画集を漁っては眺めていた。
ドラクロワの色彩とダイナミズムに憧れ、フラゴナールの洒脱な色彩に惹かれ、ルオーの力強い線にショックを受け、またクレーの不思議な世界に翻弄されたりしていた。
一番気に入っていたのはやはりドラクロワの『ライオン狩り』で、これは4年後にオルセー美術館で本物を見た。言うまでもないけどすごく感激した。
クラスの人数も少なく、油の匂いの立ち込める美術室で、僕たちはのんびり絵を描いていた。
そのとき僕に油絵の基礎を教えてくれた美術の先生は、階段の絵をシリーズで描いているという、若い先生だった。
ある日、生徒たちに自分の絵を見せてくれ、何故だか話題はピカソに及んだ。
『僕は正直言って、ピカソの絵のどこが良いのかさっぱり分からない』
先生は断言した。僕は少し驚いたが、ピカソなんて理解できなくて良いと言われたようで、なんだか安心した。先生は先を続けた。
『けれど、ピカソは自分のスタイルを壊しては新しい可能性を探り続けた。
先生も自分の絵を描きながら苦戦しているけれど、自分のスタイルを作り上げるのは大変だ。
しかも、それを壊すのはもっと難しい。
数ある芸術家の中で、ピカソだけができた。一生の中で何度も違う絵描きになった。だからこそ彼は凄いんだ』
後で自分でピカソの画集を手に入れて眺めてみると、先生の言ったことがどういうことだか分かる。
青の時代があり、バラの時代があり、キュビズムがあり、ゲルニカを描き、それにバーバリズムやらシュルレアリスムやらにも手を出し、彫刻まである。
圧倒的な才能と言ってしまえばそれまでだろう。
ここで僕は思うのだけど、絶えることのない自己変革の欲求と実現は、才能あふれる人にとって最高の贅沢でなかろうか。
しかし、たぶん創作活動にとって自己実現と自己否定というのは、車の両輪なのである。
その車がどこに行くのかは誰も知らないが、両者の激しいせめぎあいのみがクリエイターを新たなステップに導く。
ある意味ではその闘争こそ芸術家のレーゾンデートルとも言える。
ピカソは満足とは無縁の画家だ。その才能ゆえに、芸術そのものへ挑戦する義務さえ負った。
ところでそのピカソは晩年どういう地点に到達したかというと、ご存知のように子供が描くようなむちゃくちゃな絵である。
それについて、ピカソはこうコメントしている。
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」
おそらく彼は、ただただ純粋に描く喜びを追求したかったのだろう。ラスコーの洞窟に壁画を書いたクロマニョン人のように。
追記:
どうしてこんな文を書こうと思い立ったのかというと、RADIOHEADの新作『THE KING OF LIMBS』を聴いたからです。
あの人たちも凄いですよね。